- 2016年11月07日
大船鉾考証 町会所について - 2016年10月20日
鉾建位置の印 礎石埋め込み完了 - 2013年06月14日
欄縁完成 - 2013年03月02日
京都ライオンズクラブ様のご寄贈 - 2012年10月14日
現状報告
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復興事業アーカイブ
大船鉾考証 町会所について
大船鉾を出す四条町は平成27年に町会所を取得し、現在改装を行っております。監修は京町家作事組、設計は末川協氏、作事は大船鉾手伝い方の辻工務店の手に依ります。
祇園会における山鉾各町は、「町会所」(ちょうかいしょ)なるものを所有します。もとい、かつては京帥(けいし)中の各町が1軒の町会所を有していましたが、明治の改革時期に登記上の所有権問題が持ち上がり、多くが失われ、山鉾町のみこれを死守した経緯があります。
町会所とは、今様に言うと公民館に近いもの。自治都市京都の最小公約的自治組織たる「町」を構成する「町中」(ちょうじゅう)、その代表者たる「年寄五人組」の名においてこれを所有しました。そこでは「歳旦の慶賀」をはじめとする例年の町内行事・寄合(座)が行われます。その折、簡単な菜飯が供されました(町汁)(ちょうじる)。他に「連歌」「俳諧」「茶道」「講談」「書」「画」「琴」「棋」などのサークル活動(町講)(ちょうこう)が行われ、あるいは不定期に、「バザー」」や「できの悪い子の補習授業」などもひらかれたようです。
山鉾町においては、例年の町内行事の筆頭に「祇園会」があります。町会所土蔵に「町宝」たる山鉾一式を大切にしまい、管理する。「町宝」ゆえに町中以外、土蔵への出入を禁じました(土蔵の非公開)。
町会所の位置は、町内の中央付近にあることが殆どです。山鉾建方の多くが町内の中央近くにあるのはそれがためです。位置は古来よりの町割で定まり、それを保守し続けた結果ですが、例外があります。
① 町内の大店がカネにモノを言わせ敷地拡張→町会所を併呑→新たな町会所を別位置に提供。
② 明治以降、行政施策として巨大施設建造の要から、町会所を含む土地を取得→町会所がなくなる。
③ 町内在住Aさんが駿河国へお引越しの為、自宅を売りに出す→まずお隣に声をかける→お隣断る→Aさん、差配人(江戸時代の不動産業者)に委ねようとする→町内、氏素性のわからぬ人が入ってきては困るため町内で買い取り(一時町家(ちょういえ)となる)(町会所のことを町家(ちょういえ)ともいうが、この経緯の一時取得物は特に「会所」ではないため呼称分けしておく)
四条町においては、元治大火で鉾本体を焼失した後、ほどなく再建を企図しましたが、同時期に「学校設立」の機運高まり、鉾再建を未来の四条町の子供たちに託す事とし、学校建設を優先しました。彼らの子供の子供の子供たちの代を待ち、「鉾復興」その遺命が果たされた次第です。
現在の「友禅会館」が、いにしえの会所地です。おや?ずいぶん間口が広いのですね!と感じられるかもしれません。そう、他の山鉾町会所を見回るかぎり、間口は四条町のそれの半分です。それもそのはず、かつて京兆(けいちょう)における四条町は、「四条町の辻」と聞けば童でもわかる、下京の中心でした。現在の四条河原町高島屋前という感じです。「四条町の辻」を中心に描いた京都地図もたくさんありました。ということで、「四条町」という自治組織と、「下京」という自治区を合わせたhigh rank公民館、それが四条町々会所なのです。蔵は2つあり、1つは大船鉾、もう1つにはおそらく、「下京」連合をまとめるための用具が数多(あまた)入っていた可能性が高いです。将来、祝!大船鉾の土蔵復活!となると、1つ考えねばならぬ事があります。土蔵正面の扁額になんと記すか。多くの山鉾土蔵には右から左への横書きで○○鋒・○○山となっています。当「大船鉾」は現在呼称であり、その昔は「しんくうこうごうの大船」やがて「船」若しくは「十四日ノ船」とされます。「しんくうこうごうの~」は長すぎるし、「船」ではものたりず、「十四日ノ船」は前船との混同を避ける便宜上の呼び名でありましょう。はて、「大船鋒」あるいは「四條町」ではいかがか。
祇園会において「町会所」は神事行事を執り行う拠点となります。
吉符入り式:床の間軒裏には幔幕掛けのフックが拵えてある。床の間のある間(ま)は比較的広く、参拝する旦那衆が一同に会するに足る。そこと、オクノマとツギノマとの間(あいだ)に敷居があり、作事方棟梁は敷居を隔てて参拝する慣わしである。
二階囃子:バックヤードに囃子方詰所があり、そこで着替える。雪駄は清々(すがすが)しく並んでいる。表の間の天井に、鉦を吊るす竹棒が造作してある。また別場所に、締太鼓を吊るし休ませる造作がある。
宵山:会所飾りの席に変貌する。ご神体を安置する位置が決まっており、幔幕などしつらえのための造作が、付近になされている。旧懸装類をお飾りするための造作も各所にしてある。鉾桟橋が出るよう、表側壁も取り外し組み立て式に造作してある。また、バックヤードは保存会員の詰所・休憩所・寄合所となるほか、巡行衣装の用意や客のもてなしなどに使用する。別に囃子方詰所の部屋もある。平生は楽しげな鉾拝観客を静かに見守るが、ひとたび雨など降れば、ビニールを担いだ男衆がドタドタ走り回り、にわかに殺気を帯びる。
巡行:早朝から、あらゆるセクションの人々が入り乱れ、阿鼻叫喚。やれやれ巡行に出発したあとは、紋付き姿の留守居役が桟橋の上でお茶を飲みながら四条新町の巡行の様子を眺めている。バックヤードではご婦人方が、鉾帰りの迎えの準備をして下さっている。概(がい)していっときの静寂である。昼、鉾、帰る。千秋万歳(せんしゅうばんぜい)! また大勢が行き交い、上へ下へと大忙し。日に焼け赤い顔をして懸装類をしまう者、慌てて着替えたかTシャツを裏返しに着て巡行衣装を回収しクリーニング準備している者、巡行道中で壊した看板などあればそちらへ謝りに行く準備をする者、ハチマキ跡が寝ぐせのようになったまま作事方へ請負料支払い計算する者、様々である。
8月初旬、町会所で祭事反省会をしたあと足洗へ。…皆さんよいお年を!と挨拶を交わし家々へ帰ります。
改修完了は平成29年春予定です。オモテの軒は大和葺き、巴瓦に四条町紋が入り、外部内部とも伝統の京町家を新造したように見違えた姿で、皆様をお迎えできる事、一同楽しみにしております。
鉾建位置の印 礎石埋め込み完了
去る10月1日、新町通りの四条町々会所前に礎石を埋め込みました。
礎石は大船鉾の基礎櫓四本柱の建位置にあるもので、鉾建始めに柱位置を合わせる用途のほか、曳き初めや巡行の戻りにまた柱位置を合わせる事で会所からの鉾桟橋とピッタリ合うようになります。(巡行から戻りの際は、出発時と前後逆になるため、40cmほど通り過ぎることになります)
約20cm角、サイコロ状の花崗岩(御影石)を用いた石材は、縁方のご寄進によるものです。埋め込み施工は伊東工務店様にて美しく完成させていただきました。
御影石は硬度が高く断面なめらか、また磨くと鏡のような美しさになることから壁材・床材や墓石材に多用されます。
今日より四条町内に礎石が泰然とあり続けるよう、御霊会の当町役分をしっかり果たさねばと、より一層身の締まる思いであり、また秋も冬も春も、楽しい時も苦しい時もこれを見て気を引き締める定めの石として、子孫に永代継いでほしいと願っています。
欄縁完成
このたび、黒主山保存会よりのご寄進により欄縁を調進させていただき、製作開始より丸1年をへて完成とあいなりました。6月9日にヨドバシ展示場にて完成披露式典を行い、町中と関係各位にその見事な出来栄えを検分いただきました。設計は末川協氏、木地の製作は竹田工務店、漆蝋色塗りは石川漆塗工房に依頼、吊金具や部材位置番付も滞りなく拵え、無事鉾に据え付けることが叶いました。今後長い年月をかけ錺金物を誂え、当代一級の美術品として300年、400年と四条町子孫に受け継いでもらえるよう大切にいたします。
京都ライオンズクラブ様のご寄贈
この度、京都ライオンズクラブ様より創立60周年記念事業として大船鉾復興事業に対し屋形・艫屋形・跳ね出し高欄(2500万円相当)をご寄贈頂く事が決定し、昨日八坂神社常磐新殿におきまして共同記者発表いたしました。
私共大船鉾保存会にとりましては、夢のようなお話しを頂戴いたし、来年の鉾での巡行参加が現実に思い描ける状態になり、復興事業に益々弾みがついて参りました。
本当にありがとうございました。
一部新聞記事に『来年「後祭」復活なら(後祭り巡行が復興した場合、鉾を出す)』との表現がありましたが、これは現時点で私共が間違いないと確信する部分でありまして、私共の本意は罹災150年となる平成26年の節目の年に鉾での巡行復帰を果たす事であることを補足させていただきます。
つまり、先祭、後祭の巡行の分離については私共の範疇を超えており、私共は来年の山鉾巡行に鉾を出すべく、全力で復興事業に邁進してまいります。
今回の京都ライオンズクラブ様のご寄贈により完成型ではありませんが、祇園祭の鉾として恥ずかしくない最低限の鉾を出す事の出来る所まで理論上は到達した事になります。但し、鉾以外にも備品や経費などリストアップすればきりが無く、また、関係機関・団体のご支援・ご協力無しには成し得ません。
今後とも皆様のご支援・ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
現状報告
一ヶ月ぶりの更新となります。
水面下で動いておりますが、残念ながら発表出来る進展は今の時点でありません。
ただ10月23日に後祭り部会と復原検討委員会が予定されていますので、今月中には何らかの報告ができると思います。
いましばらくお待ち下さい。
京都市文化遺産展示室にて
9月に入って京都市文化遺産展示室に出掛けました。
文化遺産展示室での大船鉾復興展示は、展示室準備委員会で大船鉾の復興の過程を段階的に順次御覧頂く展示をというコンセプトの下に復興鉾実物の展示がスタートしました。
ところが、オープンの昨年10月23日から10ヶ月以上経ちましたが、展示されている鉾に変化はありません。
展示室に何回も通っておられる方から、「期待して見に行っているのに何も変わっていないじゃないですか」とお叱りを受ける事もしばしばです。
大船鉾保存会と致しましては、早く着工したいと考えておるのですが、現状は、勝手な着工は出来ないという状態にあります。
それは、基本設計が未だ確定していないからです。
大船鉾の復興鉾の設計は現在、京都市・有識者・連合会・大船鉾保存会からなる大船鉾復原検討委員会で審議されております。
木部部分の設計確定から1年以上経った現在も大詰めには来ているものの未だ屋形部分の設計を確定するまでには至っておりません。
基本設計の確定→実施図面→見積→優先順位上位で資金の目途が立った部分から着工する予定でございます。
このペースで行きますと2014年を第一目標とし復興を目指している私共の満願が成就した場合、文化財展示室で復興の過程をお見せ出来る期間はほんの僅かな時間という事になってしまいます。
2014年の巡行を成し遂げた場合でも、恐らくは、その鉾は未だ完成品ではありません。
その後、漆を塗り、木工金工細工を施し、不足の懸想品を揃え等々、20年~30年、ひょっとすると半世紀かかるかもしれません。
出来るだけみなさんに復興の過程を御覧頂きたく、巡行参加後もしばらくの間、この展示室に常設展示できればと思ったのですが、毎年、余分に運搬組立に200万円近くのお金が必要となる為、復興支援募金を行っている事、展示を行う事による費用対効果を考えた上で、難しいという判断になりました。
常設展示で観光資源にもなっているという事から、もちろん京都市の方に非公式ですが相談いたしましたが、出し入れは自由だがその費用は一切出せないと・・・。
何とも、八方塞がりな感じは致しますが、何とか本来の大船鉾復興展示のコンセプトである復興過程を順次御覧頂く事が可能になるように知恵を絞って参りたいと思います。
写真は当日展示室の鉾の上で撮りました。
何をやっているかは今は秘密ですが、大人が遊んでるわけではありません。お楽しみにしていて下さい。
大船鉾御神体衣装新調
四条町大船鉾保存会では昨年より大船鉾復興事業の一環と致しまして、京都府の「未来を担う人づくり推進事業」助成を受け、御神体衣装2領(神功皇后狩衣、磯良神厚板)の新調を進めてまいりましたところ、今般無事完成いたし、6月16日(土)、関係者をご招待し池坊短期大学悠々の間で披露の会を執り行いました。生憎の雨模様ではございましたが、大勢の方にご来場いただきました。本当にありがとうございました。
新調いたしました御神体衣装の一般公開は、祇園祭宵山期間中(7月13日午後~7月16日夜まで)、新町四条下がる四条町大船鉾飾り席(10時~21時頃)にて展示予定でございます。どうぞ、お運び下さり、ご高覧下さいませ。
神功皇后 白地檜垣に四ツ割菊に葉附き菊文様単狩衣
(しろじひがきによつわりきくにはつききくもんようひとえかりぎぬ)
表地 正絹顕紋紗 金糸使用 つゆ紐 朱色 身丈150cm 裄丈(×2)200cm
磯良 紅地金立湧に雲板波の丸文様厚板
(べにじきんたてわくにうんばんなみのまるもんようあついた)
表地 正絹唐織 金糸使用 裏地 紫地精好 身丈160cm 裄丈(×2)150cm
唐櫃の実況見分
昨日は朝から今年の祇園祭の山鉾巡行に使用する文化12年の唐櫃の状態を確認するために府立資料館に出掛けました。
大事に扱われていますので状態は凄く良いとの事でした。
ただ、足の飾り金具の一部分が取れている物が一つありました。
私の個人的な意見としては、現状のままで巡行に使用してはと思いましたが、皆さんに注目されるとの事、金具の洗浄ぐらいしてはとの意見を頂きました。
しかし、木部の生地だけが古い物で金具だけがキラキラしているのもどうかなと思いました。
23日に保存会の理事会がありますのでそこで結論を出します。
祭がもうすぐそこまで来ているのを感じるようになってきました。
今年も一つ一つが歴史に残る、いや、胸に刻み込まれる祭になります。
皆様のお陰と日々心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。
復興事業について
復興事業についての説明が現在のところ復興事業のページでは不十分でございますので、補足させていただきます。
「復興事業ご支援のお願い」でございます。
~祇園祭山鉾巡行への復帰に向けて~
このたび、私共四条町大船鉾保存会は150年ぶりに「大船鉾」を復興し、祇園祭山鉾巡行への復帰を目指す事を決意いたしました。
大船鉾は祇園祭の山鉾のひとつであり、四条町(新町四条下る)に所在し、その由来は応仁の乱以前に遡る事ができ、幕末まで後祭のしんがりを巡行いたしておりました。
幕末元治元年(1864年)の「蛤御門の変」による大火に罹災し鉾の木部構造部分一切を焼失して以降、鉾復興はならず、焼失を免れた御神体をお祀りし、装飾品をお飾りする「居祭り」を続けてまいりました。平成9年(1997年)におよそ130年ぶりに囃子の復活・披露、平成19年(2007年)には明治維新以前の装飾品一式(121点)が京都市の有形民俗文化財に指定されました。さらに、平成21年「祇園祭の山鉾行事」がユネスコの世界無形遺産に登録され、私共大船鉾も登録に加えていただいたのを機に鉾復興に向けての気運が一気に盛り上がりました。
同じ頃京都市より、世界無形遺産登録を記念して新設する京都市無形文化遺産展示室に大船鉾の模擬鉾を製作し展示したいという話がもたらされました。私共は模擬鉾を今後の復興事業のシンボルにと大喜び致しましたが、その後の有識者による展示検討委員会で「作るなら本物でなければならない。復興の過程を展示するのがよい。」という決定が出ました。展示室開設記者会見では、模擬鉾に関する費用を展示室の設備として京都市が負担すると発表されましたが、展示する大船鉾が模擬鉾から復興鉾に変更となり、鉾本体の製作費全てを私共保存会が支払う事となりました。私共の資金力では櫓を製作するのが精一杯でしたが、社団法人京都青年会議所が創立60周年記念事業として私共の復興事業に対し支援を申し出下さいました。施工をお願いした(株)竹田工務店のご努力も頂き、平成23年(2011年)10月、櫓・船体木部分完成披露、常設展示も始まり、復興事業の第一歩を踏み出すに至りました。
私共では復興事業に先立ち平成22年(2010年)4月に財団法人化、同年10月には公益財団法人の認定を頂き、組織の公明化、強化に努めて参りました。これは、過去幾度も復興支援のお申し出を頂きながら、受け入れ体制が整っていないが為にお断りせざるを得なかった苦い経験を鑑みてであります。
大船鉾保存会一同の目的は「大船鉾祭事を未来永劫のものにする事」です。平成7年(1995年)に一度祭事が途絶えそうになった危機的状況を回避した私共は、その後立ち上げました大船鉾祭事振興協議会という勉強会で「鉾」という存在こそがその目的を可能にすると確信するに至りました。また、大船鉾の復興が、祇園祭、京都、日本の振興に必ず繋がると確信致します。
大船鉾再建には第1段階としておよそ1億2000万円が必要と見積もりました。櫓・船体部分は完成しましたが、まだ第一歩を踏み出したに過ぎず、平成26年(2014年)の復興・巡行復帰実現には、募金によるさらなるご支援を幅広くお願い致しますと共に、今後も関係各位に対しご指導ご協力のお願いにまいる所存です。
何卒皆様方のご支援お願い申し上げます。
公益財団法人 四条町大船鉾保存会
申込用紙を御利用下さい。http://www.ofunehoko.jp/info/
FAXまたは郵送でお願い致します。
メールでのお申込みは申込用紙の項目をtoiawase@ofunehoko.jpまでお送り下さい。
一口1000円 芳名永久保存(10口一万円以上記念品、1000口百万円以上鉾部材に芳名記載)
郵便振替の場合のみ払込取扱票にご氏名・ご住所・電話番号をお書き下されば申込書は不要です。
カード御利用の場合、情報伝達にメールを御利用なさらないで下さい。(法律で禁止されています)
宛先 FAX (075)361-8130 600-8441 京都市下京区新町通四条下る四条町359-1
(ご篤志は寄付金控除の対象となります。)
よろしくお願い申し上げます。