- 2012年01月26日
後祭巡行について - 2012年01月14日
大船鉾考証 屋根の意匠 - 2012年01月02日
謹賀新年 - 2011年12月28日
大船鉾考証 廿四日巡行の様子 - 2011年12月20日
随車荷車製作
大船鉾考証 屋根の意匠
祇園祭の船鉾・菊水鉾以外の鉾五基と曳山三基は妻入りの切妻屋根となっています。これは屋根型としては最もシンプルな構造です。このことは、車輪をつけた櫓に鉾を立て、囃子が乗るようになってから日よけの屋根をかけたという歴史を表しているものと考えられます。菊水鉾の唐破風はその発展型といえるでしょう。それに対し、現在ある船鉾の屋根は複雑です。入母屋平入の屋形の前に千鳥破風、後ろには軒唐破風を設け、さらに前部に唐破風を差し出すという構成になっています。船鉾においても、かつては日よけの屋根を設けるだけの簡素なものが江戸時代末期、豪華に改装されました。船鉾は鉾柱を持たないため、自由な意匠を採用することができたのでしょう。御座船のイメージで作られたのかもしれません。
さて、わが大船鉾もかつては簡素であった屋根を江戸時代末期に豪華に作り直しています。ところが、その形状についてはいくつかの説があります。まず、このホームページの表紙にもなっている幸野楳嶺描くところの大船鉾は妻入の入母屋破風(むくり屋根のようです)の左右と後ろに軒唐破風を設け、前部に唐破風(と思われる)を差し出しています。現存の船鉾が入母屋平入であるのに対してこれは妻入です。ぜひ船鉾の写真と見比べてみてください。それに対し、昭和7年に描かれた表紙右下の掛け軸では、前後の向唐破風を跨ぐように中央(帥殿部)に切妻破風を置く、という構造です。さらに、幕末~明治に描かれた個人蔵の屏風でも中央の屋根(帥殿部)が切妻造となっています。この屏風は各山鉾の意匠が精緻正確に描かれているため、信憑性が高いとも考えられます。(幕類衣装だけでなく、函谷鉾のみ稚児人形で描ききっているなど正確無比な点が多い)他方参考として文化11年の「増補祇園御霊会細記」に「二重屋根唐破風銅瓦。屋形組天井柱六本」とありこれをどう見るかは見解のわかれるところです。
上記の屋根に似た構造を持つものに、大阪天神祭に出される天満市場のダンジリがあります。これは幕末ころに作られたもので、他のダンジリが二つ屋根であるのに対して「三ツ屋根地車」と呼ばれ、唯一の意匠です。中央屋根に軒唐破風を持つところも上記屏風の大船鉾と共通しています。こちらは標準型のダンジリの発展型と考えられますので、おそらく大船鉾との関連はないでしょうが、偶然同じ意匠が同じ時期に、京都と大阪で採用されたとすれば興味深いですね。
大船鉾の屋根の製作はこれからの課題です。どの形がふさわしいかを熟慮して復元する予定です。どうぞ楽しみにお待ちください。