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大船鉾考証 廿四日巡行の様子
報道などで周知の通り、巡行日程を前祭りと後祭りにわける(旧習に戻す)検討がなされている昨今です。それを踏まえ、24日後祭り巡行の模様を考察してみようと思います。(あくまで検討段階での話ですので過分にファンタジックな内容です)
ケース①御池烏丸を出発地点とし、御池通りに整列→河原町南行→四条西進→四条烏丸解散。この場合大船鉾の集合地点はおおよそ新町御池の辻となり、AM9:00の先頭出発時にはここでの辻廻しの最中かと思われます。したがって町内出発は8:30です。他方、先頭(橋弁慶山先頭の議論もあるようですが)の北観音山は9:00に御池烏丸に到達している必要があるため、8:15分には町内出発となります。ただこの御池集合の場合、イデオロギー的な問題が発生します。例えば鈴鹿山は南向きに建っていますが、出発に向けUターンすることになります。これは観念的に是か非かわかりません。御池高倉で籤改め、御旅所前で御祓いがありますが、前祭りほどの行事はなくまた基数も少ないためすみやかな巡行になるかと思います。北観音山が四条新町に到着するのは10:45頃、大船鉾が帰町しても12:00前かと思われます。
ケース②三条烏丸を出発地点とし、三条通り東進→御幸町北仰→御池東進→河原町南行→四条西進。この場合は辻廻しが6回に増え、しかも右旋左旋と大忙しです。最大の懸案は新町三条と三条御幸町の辻廻しで、6m道路交差点・約36㎡の場所で2回辻廻しを行います。大船鉾の船体が7、5mもあるためなかなかの見せ場になります。現在の辻廻しのように1度で2~3メートルスライドするのではなく、10センチずつスライドさせる力のかけ方で鉾が横を向くまで繰り返します。なにしろ狭い場所ですので状況に応じて「前へ送れ」「後へずらせ」と上へ下への大忙し、炎天下や雨中で車方・手伝い・引き手は大変ですが、洛中から疫病を祓うためにはなんのそのです。
ケース③三条烏丸を出発→すぐ辻廻しで烏丸北仰→烏丸二条東進→二条寺町南行→御池寺町東進→御池河原町南行→四条西進。何としても寺町巡行にこだわる場合のルートです。二条はギリギリ氏子内かと思いますので何とか意味は通せるかと思いました。但しこの場合大船鉾は8回の辻廻しを行うことになりまして、現状の2倍の量…こうなれば曳き手の交代要員が必要かもしれませんし、給水ポイントも増やさなければなりません。また、割り竹も前半用と後半用がいるかもしれません。言語に絶しますね。
ケース④全てのアーケードを撤去もしくは可動式にし、かつての巡行路をキレイに再現。吉田茂や田中角栄好みの手法ですね。まあなかなか…。