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大船鉾のお囃子
衣裳について(総論)
衣裳というとご神体衣装とか幕類懸装品をイメージされがちですが、大船鉾では飾り物全てを総称してこのように呼んでいます。(対義語として基礎木部類及び什器を荒物と言います)
さて、大船鉾の衣裳ですが端的にいいますと「耽美的」です。まず象形文様として使われているものは「鳳凰」「龍(雲龍・飛龍・飛魚)」「雲」「波(青海・波濤・飛沫・青海岩)」「馬」の5種10パターンです。屋根破風彫刻と艫屋形幕に鳳凰、前後幕と天・下水引、大楫に龍、2番と天水引に雲、そして波が下水引・前後幕・裾幕・艫彫刻(馬を伴う※後述)にあります。こう見ますと舳先に龍頭というのはダメ押しですね。このように、瑞祥文様のなかでも王道的なものを反復使用し、あくまで「船を飾る」ということにこだわった様子は、舶来の人物画や絨毯などを用いたデカダン派の山鉾と一線を画します。
※艫屋形の額型はめ込み式の彫刻で町内呼称「海馬の彫刻(極彩色)」です。岩群青の大波上に波濤飛沫をおそらく白土で塗り、その波上に白馬(顔料はおそらく鉛白)を配置、たてがみと尾は黒~濃紺色でヒズメは金箔かと思われます。この白馬は側面に各1、背面(正面)に2匹います。四条町ではこれら3面の彫刻を探しています。アレ、これ欄間にしては小さいなぁ…と思われる額彫刻をお持ちの方、裏面に「東」とか「西」とか、文化〇〇歳~という銘などないか確認の程お願い致します。
紋章文様としては3種類で「木瓜」「巴」「五七桐」です。これは他の山鉾町と比べても変わりありません。屋根切妻部拝み・大幡・大金幣串金具・跳勾欄下幕・艫幔幕に木瓜と巴紋が多用され、艫屋形幕隅金具に桐紋が使われていました。五・七桐紋は神功皇后の象徴的な紋であるため使用されましたが、実はあまり関係がありません。わが国では源氏(清和天皇系の武家の棟梁≒征夷大将軍)の象徴紋として中世豊臣時代に認識され→徳川政権において貨幣などに多用されました。秀吉が霞のような「権威」を手にしようともがいた文禄~慶長初期の桐紋イメージが、思想的に皇族将軍→鎌倉幕府→清和源氏→八幡さまと時代をさかのぼり皇后さまの紋として定着したのではないかと思います。以後、主に幕政中枢をイメージした紋であることから現在もわが国の政府(内閣)紋章となっています。
幕類衣裳は原色地色が赤~紅/退紅色のものがほとんどで、屋根上部のうるみ漆、龍神の赤熊、勾欄の塗りなど緋色主体で構成されています。こんなに赤い鉾はおそらく長刀鉾以来でありまして、先頭と最終の意匠対比が似ていることは興味深く思っています。
上記のように赤い鉾であるとき、会所飾りの堤燈は何色だっただろうか…とか、高梁の傘は何色だっただろう…鉾の桟橋にかかる幔幕は…などと想像してまわるのは楽しいシュミです。緋色に対して映えるのは紺とか浅葱というのが昔の定番でしょう。西洋美術では緋にグレーですね。しかしココまで赤くて且つその路線が耽美的であるのなら、もはや堤燈その他のしつらえも「緋主体」で行ったらどうか?とも思います。
皆さんいいアイデアをお待ちしております。