- 2013年03月02日
京都ライオンズクラブ様のご寄贈 - 2013年02月22日
大船鉾細見 下水引二番 - 2013年02月02日
シンポジウム 大船鉾の復興 - 2013年01月01日
新年明けましておめでとうございます - 2012年12月21日
大船鉾細見 下水引一番
大船鉾考証 艫(とも)について
現存の船鉾の後部(船でいう艫)には上下に欄干を持つ艫屋形があります。焼失前の大船鉾にも同じような屋形がありました。古い絵図には鹿島明神を囲む衝立のようなものが描かれていますが、幕末の改造の際には豪華な屋形となったと思われます。
船鉾と大船鉾の艫屋形の最大の違いは、大船鉾が火灯窓の意匠を取り入れていることです。焼失前の絵図にはどれもこの形が描かれていますし、「増補祇園御霊会細記」にも「艫屋形上下に高欄あり中は火燈口」とあるのでほぼ間違いないと思われます。上の図を見ていただくとよく分かると思いますが、火灯窓とは鐘のような形の窓のことです。多くの方は、「お寺の窓だ」と思われることでしょう。その通り、このデザインは禅宗とともに中国から伝わったものです。禅宗のお寺に使われたものが気に入られ、後には多くの建築で使われるようになりました。祇園祭の山鉾では、大船鉾が火灯窓を用いている唯一の例です。他の祭でも長浜曳山祭や長浜の影響を受けている曳山に見られます。これは、長浜型の曳山が「亭(ちん)」という屋形を有するためです。他の曳山は吹き抜け構造のものが多いので、窓を設ける箇所がありません。例外的に、伊賀上野天神祭の天満宮所蔵の模型では一層前部に火灯窓があります。なお、大津祭では源氏山の紫式部の背後にこの窓がありますが、これは石山寺の源氏の間を表すものであり、人形に付属するものだといえるでしょう。
大船鉾がこの意匠を取り入れた理由は不明ですが、後ろから見たときの、船鉾との差異を強調したのは間違いないでしょう。二つの船鉾は同じ神功皇后の乗られる船ではあるが、前祭と同じ船鉾が出されているのではない、ということを、わかる人にはわかってほしいという思いがあったのではないでしょうか。ではなぜ火灯窓の意匠なのか、ということは後の機会に譲ることにして、このような細部の意匠からもかつての四条町の心意気を感じ取っていただければ幸いです。なお、現在、艫屋形の設計も進められていますが、形のいい火灯窓をデザインしてお披露目する予定です。皆さまの応援をよろしくお願いします。