- 2012年05月31日
吉符入り式の再開 - 2012年05月22日
大船鉾考証 屋根の意匠② - 2012年05月21日
大船鉾のお囃子3 - 2012年04月23日
荷車完成 - 2012年04月20日
唐櫃の実況見分
大船鉾考証 屋根の意匠②
先日、船鉾保存会のご好意とご協力により、京都市、四条町中立会いのもと、設計者と施工者による船鉾屋根の調査が行なわれました。その結果、船鉾の屋根は銅板で葺かれ、赤茶色の塗料で塗られていることが分かりました。
四条町の大船鉾は文化11年の「増補祇園御霊会細記」に「屋根二重屋根唐破風銅瓦」とあり、銅板で葺かれていたとの記述ですが、他の鉾は木造うるみ漆塗りで作られているため、大船鉾も同様であり「増補」の記述はうるみ漆の色を銅とみなしたのであろうと考えていました。船鉾も同様だと考えていたのですが、間近に実見することによりまさに銅板葺であったのです! これにより、大船鉾も記述どおり、銅板葺である可能性が高くなりました。
「屋根の意匠」の項でも書きましたが、ここでもう一度、祇園祭の鉾の屋根について考えてみましょう。鉾は本来、手持ちの武具であったものが長大化していきます。京都の各地でみられる剣鉾は手持ちの鉾の限界の大きさだと思われます。祇園祭ではさらに大きくするために車に立てて曳くようになったと考えられます。そこに囃子の風流が合体し、さらに囃子が鉾車に乗るようになってはじめて屋根が必要となります。最初は日よけ程度の簡素なものだったでしょう。鉾が豪華になるにしたがって屋根も現在見られるような立派なものになりました。しかし、あくまでも中心が鉾柱であることを示すように、屋根を支える組物が設けられていません。
では、船鉾はどうでしょうか。船鉾には鉾柱がありませんから、複雑で華麗な屋根を見せています。昔の絵図には簡素な屋根をひとつ設けただけの姿が描かれていますが、江戸時代には今見るような立派な意匠になったようです。ところが、船鉾にも組物がありません。また、長刀鉾や鶏鉾が屋根を立派に見せるために、こけら葺を模して蓑甲(屋根の正背面の上に付いているギザギザの部材)を設け屋根を厚くしているのに対し、船鉾にはそれがなく、薄い屋根になっています。船鉾は御座船型の鉾ですから、屋根を社寺建築のように本格的に作ることができたはずですが、改造の際にあえてそれをしなかったということは、簡素な船鉾の時代から引き継いできた歴史と伝統を受け継ぎたいという思いがあったのかもしれません。
大船鉾は幕末期に立派になった船鉾を模範にして改造されたと考えられます。平成の大船鉾は組物、蓑甲といった建築意匠を取り入れて復元することもできるかもしれませんが、船鉾に見られる改造のあり方に敬意を表しつつ、歴史と伝統を尊重する形で復興していきたいと思います。