1984年秋「国際伝統工芸博」にわが大舩鉾(凱旋舩鉾)が復元展示されました。そのとき仏教用具の鳴物をつくる工匠、南條一雄氏がこの大舩鉾の鉦を製作されました。大舩鉾は元治元年(1864年)の大火でそのほとんどを焼失しましたが、大舵や金幣などとともに幸いに鉦も一口ありました。その鉦を復元のために調べたところ「天保十年(1839年)南條勘三郎作」の銘が現れました。奇しくも145年という時空を隔てた現代にその四代あとの子孫である南條一雄氏がふたたび製作することとなったわけです。南條一雄氏が製作された鉦は12口あり、ほんとうにすばらしい音色で私たちの囃子を彩ってくれています。この鉦が先代の鉦のように鉾の上で奏でられる日がくるのでしょうか。そうした思いをこめながら精魂を傾けて作っていただいたこの鉦を、その日が来るまで私たちは大切に撞き続けて行きたいと思います。 (この項は平凡社刊の雑誌「太陽」1985年7月号の記事を参照しています)
南條一雄氏
明治四十三年(1910年)京都市生まれ。 高等小学校を卒業すると同時に父親の手ほどきを受け、家職を継いで今日に至る。 昭和五十五年、伝統産業技術功労者として、京都市から表彰される。 昭和五十八年、国立劇場第三十三回雅楽公演にさいし委嘱され、伶楽の使用楽器として 編鐘・鑿・佐波利(鑿・佐波利=仏具としての鳴物。読経にともなって撞かれる椀型や皿鉢型の響銅器。 )を製作