大船鉾懸装品[121点]は、平成19年、京都市の有形民俗文化財に指定されました。(京都市では、京都市文化財保護条例に基づき、文化財の指定・登録を毎年行いますが、大船鉾懸装品[121点]は、平成19年2月に京都市文化財保護審議会から答申を受け、新たに有形民俗文化財に指定されたものであります [平成19年3月30日告示])
〔京都市下京区四条町 四条町大船鉾保存会〕
大船鉾懸装品は、毎年旧暦6月14日、祇園祭後祭(あとまつり)の山鉾の最後尾を巡行していた大船鉾を飾っていた懸装品である。大船鉾は、元治元年(1864年)の大火により本体木部等が焼失して後、再興することなく現在に至っている。現存する懸装品は250点余であるが、うち制作年代が幕末以前と考えられる121点を指定した。
本懸装品は、御神体人形まわりの諸道具と鉾本体に掛けられた懸装品に大別できる。懸装品の質は高く、綴織(つづれおり)、紋織、刺繍などの技法を使った、前懸け(まえかけ)、後懸け(うしろかけ)、水引、舵などが残されている。 また鉾の舳先につけられた約2メートルの大金幣も残されている。これらは一部に改変跡などもみられるものの、ほとんどが作制当初の状態で保存されている点が評価できる。 また,御神体人形については、礒良(いそら)、住吉大明神、鹿島大明神の遺品はなく、神功皇后のみ残されている。なかでも御神面は古く、江戸時代以前の可能性を残す。 後祭の山鉾巡行の最後尾を飾った大船鉾の遺品としての資料価値は高く、貴重である。(以上、京都市ウェブサイトより引用)
前懸け | 雲龍波濤文様綴織 |
---|---|
後懸け | 雲龍波濤文様綴織 |
舵 | 緋羅紗地雲龍波濤文様刺繍 |
水引 | 緋羅紗地飛龍波濤文様刺繍 |
水引 | 金地雲龍文様 |
掛軸 | 緋羅紗地鳳凰文様刺繍 |
掛軸 | 昭和5年 中島荘陽 筆 |
大金幣 | |
敷物 | 緋羅紗地唐草文様捺染 |
御神体衣裳 | 立菱固綾小直衣 |
御神体衣裳 | 唐花顕紋紗狩衣 |
御神体神宮皇后 | 腹帯 |
御守 | |
中啓 | |
鉦 | 天保10年(1839年) 南条勘三郎 作 |
鉦 | 昭和59年(1984年) 五代目南条勘三郎 作 飾房 |
古文書 | 神事勘定帳 慶応2年(1866年) 通達書 明治8年(1875年) 目録 |
龍頭(平成28年新調)
文化元年に松村呉春(ごしゅん)下絵の龍頭を新調し当鉾の舳先を飾っていましたが、元治の大火で焼失しました。平成28年、瀧(たき)尾(のお)神社のご寄進により復元なりました。後祭の殿軍たる当鉾の舳先欄縁にしっかりと爪をたて洛中を堂々睥睨(へいげい)、全ての厄が浄化された様をしかと見届け「言うことなし」と口を吽形に結びます。瀧尾神社拝殿天井の龍の作者「九山(くやま)新太郎(しんたろう)」が、焼失した龍頭の作者である可能性高く、縁(えにし)を汲んでいただきました。また制作者の森(もり)哲(てっ)荘(そう)一派には、途絶えた九山の名跡を継いで再興頂くなど、紲因(せついん)浅からぬこの龍頭を、永代大切にお祀りしてまいります。
前掛(平成27年復元新調)
緋羅紗地雲龍青海文綴織
宝暦頃製作の旧前掛の損傷が激しく、巡行に掛けるに耐用限界を迎えておりましたため、復元新調(織技法と図柄を旧幕に倣って新調)いたしました。
調査により、紅花由来の紅地と思われた旧幕の地色は、宝暦の新調時に茶地であることが判明しました。これは、おそらく宝暦新調時に参考とした明末の椅子掛様幕などがあり、その紅地が茶色に退色したものを、あえて新調の際、退紅色にて仕上げたものと推考しました。平成の新調では鉾の様相美など総合的に勘案し、鮮やかな紅地に戻すことを決意し製作しています。きらびやかな古の紅色に揺蕩(たゆた)う錦雲の空界を瀟洒な龍が前を見据え、五色の青海波がめでたさを讃える気品ある前掛をぜひご覧ください。
前水引(平成28年復元新調)
緋羅紗地波濤飛魚文肉入刺繍
文化年間調進の旧前水引は緋羅紗地に金糸と色糸で飛び魚と波濤を刺繍した見事なものですが、二百有余年の歳月により糸のほつれなどが目立ち巡行に耐え難くなりました。
そこで平成の最高の技術にて旧幕を写す新調幕を製作しました。旧幕の研究では、肉入で盛り上がった部分の谷にあたる場所や飛び魚の鱗縁などに、金糸の上から墨塗りが施されていることが判明、理由は明確でないながらあまり他例のない手当です。新調にあたっては金糸の風合いを損なわぬため墨塗りは見送りました。後世に理由や意図が判明した時にでも施し可能な手当と判断したためです。
舩の舷側をぐるりと彩る22匹の飛び魚のまとめ役たる正面の新調飛魚をご覧頂きたく思います。